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次回理事会開催のお知らせ

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専攻科滋賀の会理事・関係者皆様へ

次回、理事会は2月15日(土)近江八幡市内で午前に行う予定でおります。
詳細は徳田事務長より各人宛メールにてお知らせする予定です。年度末迄あと僅かとなり、皆様におかれましては大変お忙しいところとは思いますが、万障繰り合わせのほど宜しくお願い申し上げます。
WEB事務局より
※開催場所、日時の変更も含めてご連絡さし上げます。

▼12月の理事会の様子

専攻科ニュースVol.12発刊予定に関して

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例年より1月に新春号を発刊しておりましたが、今年諸処に事業により発刊予定が
遅れております。大変申し訳ございません。
現在、2月下旬到着を目指し編集をすすめておりますので、いま暫くお待ち下さいませ。

▼一部予告ご紹介いたします。


3月21日(祝)学習会(講話)とサンデー専攻科(体験模擬授業)のお知らせ

【速報】学習会(講話)とサンデー専攻科(体験模擬授業)開催報告

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3月21日(祝)に学習会(講話)とサンデー専攻科(体験模擬授業)を開催しました。
当日の天気は生憎の雪の悪天候にもかかわらず、会場の滋賀県立野洲養護学校(滋賀県野洲市)に、学習会とサンデー専攻科合わせ、総勢30名の児童、生徒、青年、ご父兄、教育・福祉事業所関係者の先生方の参加になりました。
ご参加の皆さまにおかれましては、当日足下の悪いところお集りいただき、改めて深謝申し上げます。

■学習会は大津市ひまわりはうす・スコラ(大津市立やまびこ支援センター内)の谷先生に専攻科「スコラ」の事業化までの成り立ちや、カリキュラムと学生達のそれぞれの学びの様子や行事関係を、わかり易く講義いただきました。

▲当会、立岡理事長の挨拶

▲谷先生の講座風景

■サンデー専攻科は「ダンス講座」です。ご父兄の方、本人さんはじめ、軽快なビートに合わせ、楽しくご参加されておりました。講師でお招きしたスタジオ・コールド・スウェット主宰の辻先生によると、初心者向きの実技で、自然に身体を動かしながら、リズムをつかみ易くご指導されておりました。
ご参加の皆さまも「楽しい!」「また、ダンスしてみたい!」という事で大好評でした。

▲辻先生のリードでみんなでダンス♪

▲みんなで輪になって!

サンデー専攻科【レッツ・ダンス!!】動画はこちらから
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これらの記事に関するご質問等は、senkouka.shiga@gmail.comまでお願い致します。

当会、立岡理事長手記のご紹介

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当会、理事長立岡が先般の糸賀一雄生誕100年記念論文に投稿した原稿をもとに、再編集した手記をご紹介させていただきます。立岡自身の生涯を通じた障害福祉への取組みとこれからの想いが綴られております。原稿用紙およそ12枚程の量になりますので紙でご覧になりたい方は当会メールアドレス(senkouka.shiga@gmail.com)迄、送付先記載の上ご用命くださいませ。1週間程で無償で郵送させていただきます。


明日に向かって尊い生命を切り拓こう
〜糸賀一雄生誕百年とこれから〜
立岡 晄

1、はじめに
 簡単な私の生育歴ですが、実母は私が1歳3カ月の時病気で亡くなり、その後嫁いできた継母には子どもが2人生れたこともあり、私がもの心ついた頃からとても人には言えない程のいじめと悲しくつらい日々が記憶に残っています。
 一番悲しかったのは十分にご飯が食べさせてもらえないことです。それが証拠に栄養失調の名残りか、今でもお腹はポコンとふくれていて、身体も大きくなれず、その反面幼いころからかなり厳しく仕事を強制されたことで手だけは人より大きくなっています。幼な友だちは私に奴隷のドレちゃんと言うニックネームをつけました。
他にも例えば中学生になるとツメ入り学生服に着がえるのが当然ですが、私だけは買ってもらえず、小学生の学生服のままでどれだけ悲しかったことか。今思い出すだけでも涙がにじみ、何度も死のうかと思いました。そんな私は何事も我慢してぎりぎりの所で生きてきたのですが、少しは判断力が育ってきた中学校の頃、卒業するのを待ちかねて家を飛び出し、当時長浜市にあった職業訓練校の機械科に入学し1年間の特訓を受けて大阪の大手鉄工所に旋盤工として集団就職することで、あの怖かった継母からやっと逃れ、新しい人生が始まったのです。
 それは1960年代、日本が高度経済政策時代突入時で、金の卵と呼ばれた団塊世代の一人として社会に出たのです。1日の労働を終え、油まみれになりくたくたになった身体を、共に働く友人3人と一緒に17歳にして夜間高校で学ぶことになりました。そのころから自分探しが始まったようです。何とかがんばって4年間の夜間高校を卒業したのですが、少し目が開いたのか、生き方について考え始めました。
 その結果自分の悲しい体験を元に、同じ一生なら親の無い可愛そうな子どもたちが暮らす藤井寺市にある児童養護施設の指導員として勤めることにしたのです。 
その当時は、交通事故や離婚で家庭崩壊し、一人きりになった幼子たち50人が養護施設で暮らしていました。そのかわいそうな子どもたちの指導員として共に3年間寝起きをする中で、かわいそうだとばかり思い込んでいた私は、一人ひとりその子の背景には様々な問題があることに気が付きはじめたのです。悩み抜いた末、もっと深く学ばねばと痛感した私は遅まきながらも24歳の春、名古屋にある日本福祉大学の夜間部に入学し、学び直すことにしました。
このように何かと目覚めの遅い私ですが、結婚だけは25歳と人並みの年齢で養護施設で共に働いた保母さんと結ばれ生き抜いて来ています。

2、自分探しに終止符
 その日本福祉大学の夜間部で学ぶ中、日本で最初の障害者が働くゆたか作業所が名古屋市内にあることを知り、早速ボランティアーとして作業所に出向いたのです。
 ゆたか作業所の玄関をドキドキしながら開けると、中から元気な声で「いらっしゃーい・お兄ちゃん」と、とても暖かい声が私を迎え入れてくれました。作業所ではトコちゃん、せっちゃん、堀くん等、知的障害のある仲間たち20人が生きいきと働いておられました。私の抱いていた暗くて可愛そうな、と言った障害者観は一度に吹き飛びました。知的障害がある仲間たちのあの明るさと暖かさはどこから来るのでしょうか。その後も勉強をし、ゆたか作業所の仲間にも教えて頂き、大学を卒業した私は故郷滋賀県に戻り、長浜市内で障害者の働くひかり園作業所を立ち上げた職員の一人として作業所づくり運動に取り組む事になったのです。私は長い時間をかけての自分探しに終わりをつげ、その後この道一筋を歩んでくることができたのです。私の本間ものの人生の出発は、日本福祉大学を卒業した1975(昭和50)年の28歳の遅い春でした。


3、無認可ひかり園作業所時代
 さて、滋賀県の北部長浜市で1975(昭和50)年に開所した無認可ひかり園作業所はその当時、地域に隠されるように暮らしていた障害のある仲間6人と、職員は理事長の長男と私の2人で始まりました。
 開所当時は行政からの補助金制度は無く、6人の重い障害のある仲間と2人の職員が名古屋のゆたか作業所から洗濯バサミの材料を回して頂き、それを組み立てて袋に入れて販売し、その売り上げを分配してお給料にしたのです。
当時は障害の重い人には就学免除制度があり、6人の内5人が学校にも行けなかった人たちです。それでも作業所で働きだす中で言葉が出始め、身体が健康になっていくのがよくわかりました。就学を免除された三重子さん(仮名)は言葉も少なく、友だちもいません。でも作業所に通う中で友だちが出来、仕事を覚え、笑顔が出始める頃、作業所の事を「がっこ・がっこ」と言うのです。三重子さん、ここは学校と違う、お仕事をする作業所や、と教えても「がっこ・がっこ」と言われます。余程学校に行きたかったのだろうと思うと胸が熱くなりました。
 障害のある人たちが通う無認可の作業所が長浜市内にあると言ううわさを聞きつけ、幸いと地域の婦人会の人たちが1週間に一度ボランテイアーで4〜5人のグループを組んでお手伝いに来て下さいました。その上この洗濯バサミはひかり園作業所でつくられたので買って下さいと回覧して販売をし、貧しく厳しい作業所を応援して頂く中で地域に障害者理解が少しずつ広まっていくのでした。
 さー、月末は1カ月働いたのでお給料日です。三重子さんたち仲間6人のお給料袋には各々1,000円しか入れられません。お給料袋を渡す時に「三重子さん良く頑張りました。お給料です」と言って連絡ノートと一緒に渡すと、三重子さんはおもむろに受け取って自宅に持ち帰りお母さんに渡すのです。お母さんは「この子がお給料をもらって来た!」と言って、お仏壇にお供えをされ、涙をこぼされたとのことです。
 これまで25年間一人ぼっちだった三重子さんたちは友だちが出来、お仕事や言葉を覚え、キラキラと素敵な笑顔が出始めたことを今でも鮮明に覚えています。 
働く中でたくましく成長していく仲間たちに明日が見え始めたのでしょう。名古屋のゆたか作業所のように、障害のある仲間たちが生きいきと働ける作業所がここ滋賀県にも生れたのでした。かたや私は生活保護受給寸前の厳しい暮らしが続きますが若さでのりこえていくのでした。


4、滋賀県下で最初の障害者通所授産施設として認可される・・・が
(1)入所施設から生まれ育った地域で働ける通所施設に発展
1977(昭和52)年度、滋賀県では全国に先駆けて無認可共同作業所補助金制度を創設して頂き、障害のある仲間1人1カ月2万円の補助金を頂けるようになりました。この制度が出来、作業所づくりは大津、彦根、草津等、滋賀県全域に広まっていきました。そして一定の条件を満たした作業所はやがて社会福祉法人を設立し認可作業所へと発展させる動きが急速に展開され、この時期入所施設から通所施設が急増していく時代となりました。
 障害のある人たちへの支援は、終戦直後の1946(昭和21)年の秋、糸賀一雄先生たちが始められた近江学園を中心とした入所型施設から、丁度30年後の1976(昭和51)年の秋には、生まれ育った地域で利用できる最初の通所型施設ひかり園作業所へと変遷の時代が到来したのです。

(2)厚生省も驚く信じられない「施設強制競売」事件が発生
 社会福祉法人ひかり福祉会は、1976(昭和51)年10月に通所授産施設定員30人のひかり園作業所を長浜市に、次いで1979(昭和54)年2月に彦根市に同規模のたんぽぽ作業所の認可を受けました。しかし、大変不幸な事に設立時の理事長親子による理事会無視の乱脈経営は、その後のひかり福祉会の発展どころか、理事長親子は自分個人の借金を帳消しにしようとして、作業所を強制競売にかける異常な事態を引き起こしたのです。施設の強制競売開始決定通知により理事会は解散状態となり、前代未聞の深刻極まりない大事件に発展していくのです。
 諸悪の根源の理事長親子は、すでに無認可作業所を始めた頃から障害者の施設をつくるので協力を、と偽って愛の歯ブラシや傷バンソウコウなどの通信販売に手を染め、福祉を語って個人的に多額の利益を手にしたものの、その通信販売事業者から手にした融通手形がもとで逆に借金に追われる羽目となったのです。そうしたことが社会問題化したのは1980(昭和55)年、たんぽぽ作業所の施設を建設した会社に対する建設費未払い事件でした。建設費を支払う為の国、県、市からの補助金と自己資金はそろっていたのにもかかわらず理事長親子は建設業者に支払っていなかったのです。
 行政や私たちはどうしても信じられないのですが、ひかり福祉会の理事会の責任と言う事で、当時法人理事の一人であった滋賀県民生委員・児童委員協議会会長のS理事を中心に、身体を張って必死の努力で原因を分析し解決してきました。
 こうした内部努力で支払いを終えようやく安心したのもつかの間、それから1年後全く関係ない建設業者にひかり福祉会が大きな借金をしていること。そしてその金が返されないので彦根にあるたんぽぽ作業所を強制競売にかけると言う事件が発覚するのです。S理事を中心に理事会として、未払い金は建設会社に支払って解決したはずなのに又どうして?。驚くべきことに更に別の債権者が現れ、長浜のひかり園作業所も借金の返済をしないので施設が強制競売にかけられると言う前代未聞の大事件に発展していくのです。
 ここまでくると理事会機能は完全にマヒ状況に追い込まれ、悲しいことに福祉会の命綱であったS理事は予想以上の心労が重なり病気が悪化し、病院に滋賀県民生委員・児童委員協議会会長後任のM理事を呼び事態の解決を託すと間もなく他界されたのです。故・S理事の意思を引き継いだM理事は既に理事会解散状態を立て直すために対策委員会を設置し、自ら委員長になり最悪の事態の中で作業所を守る手だてを打つと共に、対策委員会は厚生労働省に対し理事会再建の目的で仮理事会を申請し認可を受けるのです。こうして理事会再建の足がかりをつかんだ矢先、M仮理事長も重荷が元で病に倒れられ、私たちは設立当時の湖北民生委員・児童委員会長のT理事をM理事の代理としてお願いし、施設強制競売差し止め訴訟を闘う方向へと進めるのですがM理事も心労が重なり急逝されるのです。振り返ってみるとひかり福祉会が絶体絶命の中でS理事、M理事、T理事各氏は命をかけ、全力をふりしぼり、障害者を守るため、福祉の信頼を守るため命と引き換えに三氏の間でバトンタッチされてきたのです。今日のひかり福祉会が存在するにはこのように見えないところでの命と引き換えの闘いがあったのです。

(3)何故、「施設強制競売」事件が起こったのか、その背景は
 当時、作業所を利用する障害のある仲間たち、保護者、職員はもとより、経営主体である理事会を始め、長浜市、彦根市、滋賀県、厚生省等行政機関も「この前代未聞の事件がなぜ起こったのか」「その対策は」「解決への方策は」と、大きな混乱状況が生まれました。およそ社会福祉法人は、行政の認可により社会福祉事業を行うのですから、このような施設の存亡にかかわる事件は行政の指導・監督により未然に防げるはずです。にもかかわらず、現実には到底考えられない事態に陥ったのですから、そこにはそれだけの理由があったのです。
 社会福祉事業は、そもそも経営主体である社会福祉法人の理事会が選出した理事長に絶対的権限が与えられており、その理事長が理事会を形骸化し、あるいは無視して理事長印を悪用し、ひかり福祉会が経営する施設を競売に付しても、行政は理事長を辞職させる権限を持ち合わせていません。
 行政が出来ることは、そんな違反をする理事長に対して辞職の勧告をする事までです。それほど社会福祉法人には行政が介入できない、「法に基づく人格」が与えられているのです。また、社会福祉事業法は、善意を前提として法制化されている崇高な性格を持っており、理事長が施設を自らが競売にかける等ということはそもそも想定していません。従って、法人や理事長が善意を逆手に取る行為をしても防ぎようのないもろさが表面化することになるのです。
 ひかり福祉会の2か所の施設が理事長親子によって強制競売にかけられた要因はいくつか挙げられますが、①ひかり福祉会の発足が寺の住職である理事長とその長男を軸に行われ、いわゆる家族経営の独断専行の理事会運営となり、公私混同の末、事件を最悪の事態におとし入れた。②ひかり福祉会の理事長は長男の言いなりとなり、ひかり福祉会理事長の公印は長男の乱用する所となった。そうしたこともあり後ほどからは理事長印は他の理事が保管する事となったものの、長男は又々理事会を無視し、保管されている理事長印を紛失したとうそを言って別の印鑑を作って登記し、その登記印鑑をもって施設競売の手続きをしたのです。ここまでいくと誰も防ぎようがありません。③福祉を利用する体質もはなはだしい理事長の長男は、開いてもいない理事会を開いたようにみせかけ、遂に議事録を偽造したことが発覚し、私文書偽造の罪で実刑を受け、また第3者からの借金を返済しない等の罪では逮捕される等、およそ障害者の福祉をする体質ははじめからなかったのです。
 この他にも多くの要因が重なって作業所が強制競売にかけられたのですが、理事長の長男が抱え込んだ借金は本人の証言で数千万円から一億円とのことです。しかし、本人がこんな多額の返済ができる道理はないし、債権者も本人から返済してもらえるあてはないということで法人の理事長印が利用され、施設を競売する事によって帳消しを計ったのです。事件もここまで来ると、金を借りた者と金を貸した者が結託して障害者の施設を競売にかけると言う異常なカラクリが見えてくるのです。

(4)施設強制競売を命がけで闘う
 強制競売の開始決定通知書が届く緊迫した中で、私たち職員、作業所利用者、その保護者、滋賀県愛護協会等を中心に1981(昭和56)年7月2日、必死の思いで「ひかり園作業所・たんぽぽ作業所を強制競売から守る緊急集会」を開催するのです。当時の新聞には「障害者施設、競売の危機に」「経営者が借金、返済できず」「理事会に無断で」等大きく報道され、糸賀一雄先生たちが積み上げられてきた滋賀県の福祉のイメージを一度に悪くしてしまったのです。
 施設を守る緊急集会の会場となった彦根のたんぽぽ作業所にはさまざまな支援者、団体が集まり、異様な空気と緊張の中での開催です。次々と声を震わせ涙声で「作業所を守って!」と必死になって訴える仲間たち。幸子さん(仮名)は声を詰まらせながら「私は以前会社に勤めていましたが、発作があって病院に入院しました。病院から作業所を紹介してもらって作業所ではミシンでフキンを縫っています。今では発作もなくなって喜んでいます。お母さんも喜んでいます。もし作業所がなくなったらまた私はひとりぼっちになってしまいます。せっかく作業所に来られるようになったのに・・・どうか皆さん作業所を守って下さい!お願いします」と泣きながら必死の訴えをしました。保護者や職員もどんな理由があろうがこの作業所は誰のものでもない、仲間たちの働くかけがえのない大切な作業所であること、みんなで守ろうと強い決意をこめた発言が続きます。そうした中で集会つぶしを目的に会場に入り込んでくる債権者、そして初代理事長の長男が現れると、怒号とヤジが飛び交い騒然となりました。債権者はマイクを取り上げ、「こんな集会をやめて私と一緒に今から県庁に行って作業所が競売にならないように頼むのが先決だ」と圧力的な言い方で集会をやめるように迫りました。最初は何のことか良くわからなかったのですが、競売を止めるために借金の肩代わりを県庁に求めようと言うことらしいのです。こうした債権者の集会つぶしにたいして、会場からは誰言うとなく「かえれ!かえれ!」と帰れコールがわきあがる中でついに彼らは退場していくのでした。
 緊急集会に駆けつけて下さった支援団体の皆さんやゆたか作業所を始め全国からの励ましの挨拶や決意は私たちを勇気づけて下さいました。緊急集会の終わりにこの集会を主催した対策委員会は、①何としても作業所を競売から守り抜くこと、②理事長親子を告訴すること、そして③真実を広く社会に知らせること・・・と言う三項目のアピールを提案し、大きな拍手で採択されたのです。
 会場には新聞社やテレビカメラが入り、警察官に守られながらの厳しい、ひかり福祉会にとっては忘れられない歴史的な長いながい1日となりました。
 このひかり福祉会の存亡にかかわる緊急集会で採択された決議に基づき、6日後には決議通り理事長親子を彦根署に告訴し受理され本格的な立て直しが始まったのです。

(5)10年間の粘り強い闘いで施設を強制競売から守る
 当時の滋賀県の議会でも2人の議員から施設競売事件に対しての滋賀県の対応を求める質問も出され事態は緊迫していくのでした。
この時期から福祉を語っての初代理事長親子との決別を果たし、理事会の再建を果たす中で、ひかり福祉会は借金していない事を立証するためひかり園作業所、たんぽぽ作業所競売差し止め訴訟を彦根・長浜の地方裁判所へ提訴しました。
 裁判を進めて頂いた弁護士の皆様も福祉のこころと、何としても作業所を守ってほしいと願う多くの仲間たちの声に応え、長期にわたり手弁当でご支援して頂き、その後のひかり福祉会発展に寄与して頂いたのです。当初、弁護士さんは施設強制競売開始の決定通知がきているのを差し止めるのはかなりきびしいとおっしゃっていましたが、何としても施設を守るため、私たちはあらゆる努力をし、大きな世論を味方に裁判を進めることにしました。
 訴訟を経て経営の立て直しをめざした歴史が積み上げられていくことになったのです。言うは簡単ですがひかり園作業所・たんぽぽ作業所競売差し止め訴訟は彦根と長浜地方裁判所で実に10年間もの長きにわたり審理されました。その結果最終的には初代理事長親子の個人借金返済を理事長と言う立場を利用してひかり福祉会理事長印を悪用して財産処分する事はまかり通らないという判決を頂いたのは提訴して10年目の1991(平成3)年春の事でした。何と10年で合計59回もの公判を経験したのです。

5、糸賀一雄さんの思想の今日的意味の実際
(1)理事会再建はまさに糸賀一雄思想そのもの
 さて、先述の通り1981(昭和56)年7月2日の「ひかり園作業所・たんぽぽ作業所を強制競売から守る緊急集会」を経て、滋賀県の指導を受け再建なったひかり福祉会第1回理事会を1982(昭和57)年7月28日に開催しました。すでに述べたようにひかり園作業所・たんぽぽ作業所強制競売差し止め訴訟にも心を砕いて頂いた滋賀県の愛護協会や滋賀県児童・成人福祉施設協議会等でもご心配をかけていましたが、火中の栗を拾うということわざがあるように、ひかり福祉会のさんざんたる実態を見ておられた当時のびわこ学園の岡崎英彦園長と、もみじ・あざみ寮の三浦了寮長のお二人が自らの申し出により、ひかり福祉会の理事に就任して頂けるというのです。
 糸賀一雄著のNHKブックス「福祉の思想」に「障害や欠陥があるからと言ってつまはじきにする社会を変革しなければならない」と書かれていますが「ひかり福祉会と言う法人には2か所の作業所に60人もの障害のある仲間たちが働いており、施設競売事件とされた施設だがこれを救済しなければならない」と私流に読み替える事が出来るのです。後日判明したのですが、両先生ともひかり福祉会の実践が素晴らしく、これをつぶすことなく守り発展さすのが糸賀一雄さんの思想の実践です、とおっしゃっていました。
 糸賀一雄さんの福祉の思想と実践力が岡崎英彦園長、三浦了寮長にしっかり受け継がれ根付いている証としての行動だと私は確信しています。まさに「糸賀一雄福祉の思想の今日的意味」そのものではないでしょうか。
 ひかり福祉会は地元、長浜市、彦根市、滋賀県は元より当時の厚生省を揺り動かす前代未聞の大事件という施設競売事件にまきこまれた大変おおきなマイナスからの出発です。障害者福祉の社会的信頼失墜だけでなく、作業所で働く職員や利用者、そして保護者会等、当事者の大きな動揺をはじめ、巨額の借金の返済等、それらを元に戻さねばなりません。マイナスからゼロへそしてその後プラスに転じていくには糸賀思想を学ばれた岡崎、三浦両先輩が力を貸して下さることは勇気百倍、絶望の中から一筋のキラリと輝く明るい展望がみえたのです。
 私たち職員や障害のある仲間、保護者等をどれほど勇気づけて下さったことでしょう。これこそ糸賀福祉の真髄だと確信します。
 再建されたひかり福祉会の理事長には早速と岡崎英彦さんが就任して頂き、理事には三浦了さんを筆頭に、問題解決の先頭に立った元びわこ学園勤務でひかり福祉会の田中浩藏さんや筆者の私に加え、保護者会の会長等で構成され、息を吹き返した素晴らしい理事会が誕生したのです。議論し話し合ったことが着実に実現していける夢と希望のもてる新生理事会がここに実現したのです。

(2)明日に夢をもとう!と、みんなで将来計画を創り上げる
 そうは言うものの毎日の現実は予想以上に厳しく、いつも苛立って焦り気味の私をつかまえて、岡崎英彦理事長は「慌てなさんな、こうした困難な中だからこそ明日に夢を持とうではないか」と私たちを励まして下さり、具体的な提案として、ひかり福祉会の第1次将来10カ年計画の立案を示唆して下さいました。
 早速と職員、利用者、保護者、養護学校教師、地域の人、理事等が検討委員会を立ち上げ、障害のある仲間たちのねがいを軸に、1年がかりの話し合いで施設競売差し止め訴訟を闘いながらも将来の夢を語り合い、ついに第1次ひかり福祉会将来計画10カ年予想図が完成したのです。
将来計画の予想図には機関車が走るのですが、機関車にはみんなの夢とねがいが乗せられ、3年の駅、5年の駅、そして一周すると10年の終着駅が描かれました。この将来計画は機関車が地域の障害者の願いと夢を乗せて走りだし、3年の駅に着く頃にはグループホームや新たな作業所が出来、さらに5年先の駅に着く頃には障害者自立センターやひかり園作業所の新築移転が完了し、そして10年後の終着駅では精神障害・身体障害者の作業所が完成すると言うハード面の施設整備が描かれたのです。とっても解りやすく、実に夢が持てる計画となりました。
 この夢を実現していくため、また機関車が燃料切れにならず、しっかり走れるようにと、ひかり福祉会がめざす経営理念の確立や法人機能の強化を軸に財政、広報、研究、管理各部門というソフト面の計画も立案する中で実行、実践されるのです。
1988(昭和63)年4月に出発した機関車は3年の駅、5年の駅そしてついに一周して10年の終着駅にたどり着くことが出来ました。これで第1次将来10カ年計画はほぼ100%見事に実現させる事が出来たのです。
 その後も第2次5カ年、第3次5カ年、第4次5カ年将来計画と引き継がれ、第1次将来計画から25年目となる第5次将来5カ年計画は今年2013(平成25)年4月から2018(平成30)年まで、向こう5年間を展望する計画が出来あがりました。こうした将来計画は次々と実現し、今では競売にされず戻ってきたひかり園作業所、たんぽぽ作業所を含め10か所の日中事業所と、親亡き後の仲間たちが自立し暮らすケアホーム9か所他、支援センター2か所にデイサービス事業所等、障害のある仲間たちにとってかけがえのないひかり福祉会へと成長することが出来ました。
 ひかり福祉会のまさに救世主として6年間お世話になった岡崎理事長は無理もたたり1987(昭和62)年6月11日、享年65歳という若さでご逝去されました。
私は目を閉じれば今でも岡崎理事長の優しいお顔がはっきり浮かんできます。

(3)糸賀一雄思想を広めた「きょうされん」理事長時代
 私は「自覚者が責任者」と言われた糸賀一雄さんの言葉を少しでも実践する思いから滋賀県内に共同作業所の連絡会を立ち上げ、県下各地に障害のある人たちの作業所をつくる運動を幅広く支援してきましたが、2000(平成12)年には東京に本部がある、きょうされん(共同作業所全国連絡会)の理事長として選出され、それ以降6年間、北海道から沖縄まで障害のある仲間たちの作業所や暮らしのホームづくり運動の先頭にたって道を切り拓くのでした。この間全国各地に出向く度、糸賀先生の思想と実践を語り、根付くよう尽力したものです。
 しかし現状は厳しく、例えば沖縄の地に出向けば滋賀から約10〜20年も障害者の福祉は遅れている事が良くわかります。その事に気づかされた私やきょうされんは責任者となって沖縄に生れ育った障害のある人が私たちと同じように諸権利が保障されるように国の責任も問いただす仕事も精一杯取り組んできました

6、「この子らを世の光に」できる社会をめざして
(1)今こそ糸賀一雄福祉の思想から学ぼう
 1970(昭和45)年4月、長浜市湖北町生れの重症心身障害児の誠さん(仮名)が、18才でびわこ学園卒園後の進路先として私たちのひかり園作業所に通所されることになりました。
 何でまた重症心身障害で首も座らない全面介助が必要な寝たきりの誠さんがひかり園作業所なのでしょう。行政もびわこ学園入所の誠さんを知的障害者の通所授産施設ひかり園作業所には措置出来ないとのことです。しかしご両親の強い願いと、どんな重い障害のある人も受け入れると言う私たち作業所側の理念が一致し、ついにその願いが実現していくのでした。当初、作業所措置に難色を示していた行政を伴い、私たちの作業所仲間が東京では重症心身障害児を通所作業所で受けとめる現場があるので一同で視察に出向きました。
東京では3人の重症心身障害者を作業所で受け入れている実際をこの目で見、視察後、県は特別対応の形で誠さんにひかり園作業所通所を認めて頂くこととなったのです。素晴らしいことに新しく重度加算制度までつくって頂き、1990年4月、18才の誠さんは晴れてひかり園作業所の仲間となることが出来ました。
 福祉のこころが制度をのりこえさせた素晴らしい行政判断でした。まさに「この子らを世の光に」の実践力ではないでしょうか。
 1990(平成2)年4月から誠さんは毎朝お母さんの車で通所されます。車が着くと作業所の仲間たちは我先にと誠さんが乗っている車を覗きこみ、口々に「誠さん、おはよう!!」と出迎えます。誠さんは思わずニッコリです。朝礼後はそれぞれ仕事にかかるのですが、誠さんは仕事が出来ません。寝台車に寝て音楽テープを聞くのが彼の日課となっています。ところでミシンで懸命にフキンを縫う仕事をしている仲間は疲れてくると誠さんのところへ行って誠さんの顔を覗き込みます。そして「誠さんはいいなー、寝て音楽テープ聞いていたら良いのやから」と語りかけます。すると誠さんは「ニッコリ」とほほ笑み返すのです。そんなやり取りの中で疲れが取れた仲間は又、ミシン仕事に戻るのです。誠さんが居るから仲間たちは仕事ができるのです。
 そんな誠さんですが成長と共に身体の変形が進み、股関節が激しく痛みだし眠ることも出来なくなっていくのです。とうとう彼は3年間の作業所生活に別れを告げ、治療に専念されることになったのです。退所に当たって作業所の仲間たちは盛大な送別会を開き、別れを惜しみました。私たち職員は誠さんから「障害の重い人は宝」という事を身を持って教えられたのです。

(2)重症心身障害の誠さんから多くを学ぶ
 1993(平成5)年3月末でひかり園作業所を退所した誠さんはそれから2年後の1995(平成7)年5月、股関節術後の定期検査でレントゲンを撮ると側湾がひどく、90度にもなっており、11月には再び手術を受けたのですが、今度も13時間を要する大手術となりました。術後、体中からいろんな管が出ていて痛たましい姿でした。体位交換も4人がかりで細心の注意が必要です。重症心身障害の誠さんは今回もこのような大きな手術に耐え、ようやく3カ月後に退院する事が出来たのです。退院後の7月からは湖北通園たいこ教室に通えるようになり、このまま何事もないようにと祈る気持ちでいました。
 しかし1996(平成8)年の10月11日、再度入院です。今度は噴水のような吐血が続き点滴では間に合わないので足の付け根から輸血が行われます。病室は何人ものドクター、看護師さんが総がかりで懸命な治療に当たって下さり、急を聞きつけてたくさんの関係者が見守ります。出血する部所がわかったので治療をしたのでもう大丈夫と言う声が聞かれホッと一安心したのもつかの間で塞いでもふさいでも次々と穴があき、もう防ぎようがなくなり22時前にたくさんの人に見守られながら26歳と6カ月で天国に召されていかれたのです。
 ご両親は何がなんだかわからないまま22時過ぎ、すべての管と機器が誠さんの身体からはずされました。目は開けてくれないけれど美しい寝顔でした。あんな凄まじい戦いがあったとは思えないような安らかな寝顔でした。血のついた顔をゆっくり拭き、きれいになったところで髪を拭くと、拭いても拭いてもタオルは赤くなり、なかなかきれいにはなりません。「こんなになるまでがんばったんや」と思うと涙が止まりません、とお母さんは振り返ります。
 糸賀一雄先生が願う「この子らを世の光に」できる社会が誠さんとご両親を通して見事に湖北の地に形となって実現したように強く思います。誠さんありがとう。ゆっくりお休みくださいね。

7、人間の基礎を太らす大切な「第3の学びの扉」を拓けよう
(1)就学の免除・猶予の時代から養護学校義務化、そして次には
 その昔、重い知的障害のある子どもたちはランドセルを背負うことなく自宅に閉じ込められ細々と生きていました。6歳になっても家から出ることがないので友だちはいない、勉強は教えてもらえない、栄養計算の出来た給食が食べられない、身体検査や予防注射もしてもらえない・・・。人間の一生の内でも死亡率が一番低い小学生時代に、学校に行けなかった不就学障害児の死亡率は、学校在学児の約66〜580倍という調査結果があります。ないないづくしが解消したのは今から34年前の養護学校義務制度化を待たねばなりません。
余りにも残酷な就学免除の実態です。こうした悲しい現状を何とか打破しようと、就学の権利を保障する国民的なねがいと運動があいまって全国に養護学校が義務設置されたのは1979(昭和54)年春のことです。
 学校は子どもたちの全面発達を保障するところです。糸賀一雄先生は養護学校義務制以前の時代に、すでに発達の保障を提起されています。発達とはその子のねがい・要求により生みだされ、発達は集団の中で実現し、発達は権利なのです。そして無限の可能性があるのも発達なのです。
先述したようにどんな重い障害があっても特別支援学校が全国に設置される中で高等部18才まで教育を受けられるように教育期間を延長出来る所まで来たのです。

(2)高等部卒業後さらに学べる養護学校「専攻科」実現への強いねがい
 知的障害児の養護学校は高等部18才で卒業を迎え、進路先として約3割が自営業や一般企業に、約7割が作業所などに進路をとりそれぞれ社会に出て行かれます。
私たちNPO法人「専攻科滋賀の会」では2007年秋に滋賀県下全養護学校の保護者、翌年に養護学校の教師、3年目に卒業生の約7割を受けとめている作業所職員を対象に膨大なアンケート調査を実施したのです。その結果、何と全体の74%もの人たちが教育年限の延長を求めていることが判明しました。
アンケートには予想以上の多くの書き込みがありましたが、簡潔にまとめると保護者からは「発達のゆるやかな子どもたちだからこそ教育年限を更に2〜4年延ばすべきだ」。また教師からは「高等部3年間では卒業後の進路対応に追われ、本来の教育が十分できない」そして作業所からは「知的障害児18才ではまだまだ働く気構えもできていない、せめて20歳までは教育保障すべき」等の熱い意見が書きこまれたのです。
 1979(昭和54)年春、就学免除・猶予制度が改善され全ての子どもに教育が保障された第1の学びの場の扉が開き、第2の学びの扉はその後約10数年かけて高等部が設置され、今まさに養護学校高等部卒業後さらに2〜4年間学べる専攻科開校の扉、すなわち第3の学びの扉を拓けようとしている時代です。
全国には宮城、高知、東京、神奈川、群馬、三重、岩手の私立の養護学校に2〜3年間の専攻科が設置され、2006年度には国立の鳥取大学附属特別支援学校に20歳まで学べる専攻科が開校されました。その他、専攻科を設置する高等学校も3校ありますが全国でわずか11校しかありません。考えてみれば一般の子どもたちの多くは短大、大学に行ける時代にあって知的障害の人たちこそ教育期間を延長させてあげたいものです。
 最近では高等部卒業後を受け入れる厚生労働省サイドの福祉事業所では通称「学びの作業所」と呼ばれる福祉事業型専攻科が15か所と急増しています。これは社会福祉法人やNPO法人が設置する作業所が、働く意味も理解していない子どもたちに、もう少し学習を保障してから仕事へ移れるようにと「生活介護」の制度を利用しての設置動向です。
私たち「専攻科滋賀の会」はこのアンケート結果を基に2009(平成21)年に組織を立ち上げ専攻科全国研究会とも連携し、滋賀県民のねがいである障害児の教育年限をさらに2〜4年間保障することをめざして2009(平成21)年7月に専攻科滋賀の会を結成し、県下74%の熱い願いに応えた活動を積み上げる中で、専攻科実現をめざして2012(平成24)年1月にはNPO法人を取得し、社会福祉法人の経営者、障害児の保護者、県立施設の職員、養護学校教師、大学教授、県職員OB等で理事会構成をし、年間にはサンデー専攻科の実施、知事や市長との懇談、全国大会の開催等、積極的な活動を展開しているところです。

5、まとめ
 糸賀一雄さん生誕100年は教育、福祉、社会等多方面からの振り返りとその成果、そして明日に向かって乳幼児、障害のある人、高齢者など、社会的弱者と言われる人たちを真ん中に置いた地域社会、国づくりを再確認するとても良い機会として位置付けることが大切と思うとともに、人には言えない辛くて悲しい私の出生から今日までを重ねあわせつつ、残された人生の中で第3の学びの扉を拓けることを始めたことを書き込みました。
 言ってみれば糸賀一雄先生が私と言う人間にもこうした振り返りと現状、そして未来に向けての考えをまとめるチャンスを与えて頂いたのです。ご提案下さった糸賀一雄生誕100年記念実行委員会をはじめ、関係者の皆様に厚くお礼申しあげます。ありがとうございました。

                        2014(平成26)年、春

専攻科滋賀の会 総会&記念講演会開催のお知らせ

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総会&記念講演会開催に関して

6回目の当会総会が開催されます。当会会員の皆さまは勿論、滋賀県内外の障がい教育、作業所等に携わるご関係者様は記念講演も開催されますので、是非ご参集戴き忌憚のないご意見を戴ければ幸甚でございます。どうぞ宜しくお願い致します。

■日時-2014年7月20日(日曜日)午後1時開場(午後1時受付開始):午後1時30分開始〜午後4時10分終了予定
〜概要〜
1)第6回総会/活動のご報告/今年度の活動方針(計画)案 
 ・・・・・専攻科 滋賀の会 会長 立岡 晄(たておか あきら)
(約10分休憩)
2)記念講演----「障害のある青年の発達保障と『専攻科』
         〜『自立訓練事業アンケート』の結果をふまえて〜」

 ・・・・・講 師  丸 山 啓 史 先生(京都教育大学 准教授)
(約15分質疑応答)※講演概要は下記ご参照ください。
3)終了・閉会のごあいさつ他
※議題内容、順は変更する事があります。
■場所-男女共同参画センター G−NETしが(研修室A)
・住所: 〒523-0891  滋賀県近江八幡市鷹飼町80-4
・電話:0748−37−3751
※駐車場有り
※JR近江八幡駅南口より徒歩10分

会からのメッセージ

■ご挨拶

〜ともに学びあう喜びを全ての子ども・青年に〜

1960年代から70年代の障がい児の不就学をなくす運動は、1979年度「養護学校教育の義務制実施」を実現させました。
この障がい児の最初の教育権保証運動を土台に、1980年代から90年代にかけて、希望する障がい児に18歳までの高等部教育をめざす運動が繰り広げられました。
そして、21世紀の今日、私たちはこの第二の教育権保障運動の上に、さらに「高等部卒業後の専攻科教育(2年以上)の教育保障」をめざしての運動に取り組んでおります。
そして今年はNPO法人格を取得し公の立場としての活動する事になり3年目、今年は学びの作業所が複数開所しており、次年度に向けても更に開設が増える予定です。いよいよ滋賀県内各地で「専攻科創設」に向け支援活動が拡大しつつあります。
是非とも多くの皆様に、上記第6回総会・講演会へのご参加と今後の私たちの運動への協力を賜りますよう宜しくお願い申し上げます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・専攻科 滋賀の会 会長 立岡 晄(たておか あきら)

■記念講演
〜『自立訓練事業アンケート』の結果をふまえて〜
(テーマ趣旨)
「学びの場」としての自立訓練(生活訓練)事業に関して、2014年2月から3月にかけて京都にてアンケート調査を実施されました。100名の家族と、11の事業所からのアンケート結果をもとに、詳細にまとめられたデータに分析を加えてお話をして下さいます。アンケートは、記述を丁寧にまとめられていますので、今後の青年期における発達保障の課題と「専攻科づくり運動」に大きな力を発揮するものとなっています。(専攻科滋賀の会 事務局)

これらの件に関してのお問い合わせ 電話0748-48-6043立岡まで

上記参加御申込/各種お問合せは e-mail→senkouka.shiga@gmail.com まで宜しくお願い致します。

■年度更新のため、既会員の方は、「専攻科 滋賀の会」 郵便口座記号 00970 6 178996 迄お申し込み手続き戴ければ幸いです。
6月末にも会報が皆さまのお手元に到着しますので、その中にもご案内が入っております。
これからの新規会員になられる方は申込みフォームからエントリー戴きましたら、必要資料を送付差し上げます。
皆様の会費により活動をしている団体です。どうか御協力賜りますよう、宜しく御願い致します。

【速報】来週7月13日選挙が行われる滋賀県知事選挙候補者に聞きました!!!

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障害者の生活と権利を守る滋賀県連絡協議会(略称:障滋協)が滋賀県知事選挙立候補者に専攻科設置を含め12項目の公開質問状を出したところ、3候補から回答がありました。その中で専攻科設置についての質問ならびに回答結果は下記の内容です。

質問:障害者専攻科の設置についてどうお考えになってますか?

回答:

1、小𨯯隆史 候補

●盲学校等以外は私学等で対応するべきものと理解している

2、三日月大造 候補

●ご質問は、高等部卒業後の専攻科のことかと思います。本県では、県立盲学校に理療科と保健理療科とが設置されています。視覚障害および聴覚障害以外の障害種での専攻科設置は、国の学習指導要綱に定めがないことなどから、公立学校での設置はできないものと伺っています。

3、坪田いくお 候補

●養護学校卒業後、さらに学習を深められる専攻科の設置は必要です。障害児のニーズにあった豊かな教育を行えるよう体制の整備が必要と考えられます。

※以上、障滋協ニュースより抜粋・・・(2014年6月30日発行)

当会理事長 立岡よりメッセージ

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明日に向かって尊い生命を切り拓こう

〜糸賀一雄生誕100年とこれから〜

私は今67歳になりましたが、思いおこせば28歳の春、滋賀県で無認可の共同作業所を始めて39年となります。

 やがて社会福祉法人化後、多くの皆さんに支えられながら今では10か所の日中事業所・8か所のグループホーム・3か所の支援センター・他を経営する法人になっています。思いおこせばこの間、多くの人たちと共に、誰もが住み良い地域づくりをめざし歩んできたことになります。

 そこで、今春の「糸賀一雄生誕100年」を節目に、私の歩んできた道を振り返ると共に、明日を切り拓くことをめざし、小論文を書き上げました。せっかくですからこの小論文を希望される人にはお届けしようと考えましたので必要な人は下記までお名前と送り先をお申し出ください。

 郵送料も含め、無料でお届けします。感謝をこめて!!

小論文:「明日に向かって尊い生命を切り拓こう」

〜糸賀一雄生誕100年とこれから〜

 

お申し込み先:〒529-1433 滋賀県東近江市五個荘木流町372‐1 

立岡 晄(電話:090―1075―0962)   メール:akirakirakira@nifty.com

                    

            


 NPO法人 専攻科滋賀の会 7月20日の催しのお知らせ

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 NPO法人 専攻科滋賀の会/爽快にお越し下さい

■期日:2014年7月20日(日)    

■時間:13:00〜16:10

■内容:総会と丸山啓史先生(京都教育大学)の記念講演

■会場:近江八幡市の男女共同参画センター 

○重い障害のある人たちにだからこそ高等部卒業後あと2〜4年間学べる専攻

 

科づくりをめざし、大運動中のNPOです。どなたでもご参加歓迎!!※詳しくは下段記事ご参照ください。

 

専攻科滋賀の会 第6回総会&記念講演会開催報告

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 先月7月20日に解されました、第6回総会、同時開催の記念講演会開催状況をご報告いたします。

 総会では、冒頭理事長のあいさつがあり、?7回の理事会を開催し、?関係団体との懇談を行っていること、?全国の会との連携を深めていること、?サンデー専攻科と学習会に取り組んでいること、?総会を節にして発展を目指そうと話されました。

 情勢については、国連「障害者の権利条約」が2014年2月より効力を生ずることになり、第24条の教育においては、「締約国は、障害者が差別なしに、かつ他者との平等に、高等教育一般、職業訓練、成人教育及び生涯学習の機会を与えられることを確保する。」と障害の有無によって教育機会に差があってはならないと述べている。この権利条約を私たちの運動のよりどころとして行こうという提起がありました。

 活動報告は、法人の事業として、ある学校法人との懇談を重ねていることが報告されました。また、昨年の12月に開催された第10回全国大会に6名が参加したことが報告されました。質疑応答の中で、7月13日に投開票が行われた知事選挙での、障滋協が行った公開質問状の回答で、三日月陣営が「視覚・聴覚障害以外は学習指導要領に定めがないので、公立学校での設置できない」と回答されていることについて意見が出され、このことに関して「障害児教育の分野はないものを創り出す分野である。会として丁寧に懇談をするなど対応するべきである。」との意見が出されました。

 会計決算の報告では、全国大会(福岡)の参加補助の額が大きかったこと、またニュースのカラー印刷に多額の経費がかかっていることの報告がありました。最後に、理事の定数を8人から9名にすることが承認されて総会を終えました。

 総会後の記念講演は、京都教育大学の丸山啓史先生が「障害のある青年の発達保障と『専攻科』」と題して講演下さいました。自立訓練(生活訓練)事業に関するアンケート結果をふまえて、「学びの場」としての自立訓練事業と専攻科をめぐる論点を多方面から分析して、多くの示唆を与えて下さいました。

■講話中の丸山先生

自立訓練事業をどうとらえるのか、20歳前後の人にとっての「学び」とはどのようなものであるべきか、生涯にわたる学習権保障をどう構想するのか、等、青年期教育を考える上で課題となる多くの課題解決のための実践研究が求められていることを知らされました。質疑応答の中では、「理想的な流れの受け入れとしんどい流れでの受け入れを考えると、あるべきものと現実的なものの二重の構えが必要ではないか。」「学校教育がすべてではない、青年の発達の場は多様であろう、学校教育と福祉対応を対立としてはとらえるべきではない」と言った意見が寄せられ、活発な論議となりました。

■ご出席の皆様有難うございました! 

今後、会が中心となり、青年期教育のあるべき姿に関する問題提起を含め、高等部卒業後の選択肢の一つとしての専攻科設置運動を盛り上げていく必要性を痛感しました。(T)

<ご報告>障滋協(障害者の生活と権利を守る滋賀県連絡協議会)の 対県交渉参加

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障滋協(障害者の生活と権利を守る滋賀県連絡協議会)の対県交渉参加のご報告

日時/2014年9月5日(金)13:00〜16:00  

於/滋賀県庁新館

■障滋協の宮本会長の挨拶のあと、労働政策課など滋賀県各課との懇談を行いました。

専攻科の分野である教育委員会とは専攻科滋賀の会を代表して立岡 晄が資料に基づき、発達のゆるやかな児童ゆえ、特別支援学校18才卒業後も2〜4年間学べる教育期間延長の必要性を強く主張しました。

報告した主な内容は次の通りです。

1点目として

?  2009年  7月に専攻科滋賀の会を結成し、嘉田知事との懇談会をしてきたこと

?  2010年12月に第7回全国専攻科研究会滋賀大会を成功させてきたこと            

?  2011年12月にNPO法人化したこと

?  ニュースを発行していること

?  県教育委員会と懇談会を持ってきていること

?  サンデー専攻科を開催してきていること

等々、専攻科滋賀の会の主な歩みをお伝えしました

2点目として

2010年1月に「滋賀県内全養護学校保護者・教師・福祉施設職員対象」に行った専攻科に関するアンケート集計結果から77%もの皆さんが教育期限の延長を求めている事実を伝えました。

3点目として

県内特別支援学校の保護者・教師・作業所職員の77%もの人が教育期限延長を求めていることが判明した以上、1日も早くこのねがいが実現するために専攻科滋賀の会としては尽力するので、教育委員会としてもご理解とご支援をお願いしたい旨お伝えしました。

 その後、県との懇談を行いましたが、現在のところ特別支援学校の生徒が急増傾向で対応を迫られており、教育期間延長までには大きな反応はなかったのが現状です。

 しかし、県民の大きな教育期間延長の声はあるので、今後とも粘り強く交渉を積み上げるべきだと思います。    (以上 A.T.)

【イベントのお知らせ!】11/24(祝)学習会&サンデー専攻科開催のお知らせ

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学習会(関係者向け/親御さん向け)・サンデー専攻科(ご本人様向け)開催のお知らせ

障害青年の教育をさらに ( 専攻科などを ) 保障する滋賀の会・主催

①学習会「 青年期の教育実践と今後の課題」~高等部専攻科などの教育実践から~

②サンデー専攻科~“音楽”教育実践~みんなと楽しもう!「 和太鼓と踊りの講座」

このたび、 標記の「学習会」 と 「 和太鼓と踊りの講座」 を下記の日程で同時開催いたします。
「学習会」 では、 神戸大学の渡部 明男先生を講師としてお招きし、鳥取大学付属特別支援学校高等部に専攻科を開設された際の設立経過、ならびに教育実践、そして渡部先生が現在在籍している神戸大学での「学びの作業所」との共同研究等、障害をもつ方々の青年期教育の今後の課題を講演していただきます。
ぜひ親子で参加してくださり、教師・福祉関係者の方々や親御さん達は「学習会」に 、 お子様~児童・生徒・学生・青年の皆さん~は
「 和太鼓と踊りの講座」 に出席してくださいますようご案内申し上げます。
また、 講座でボランティア ( スタッフ ) として協力してくださる方も求めています。
いよいよこの滋賀の地でも「専攻科」の本格的実践が始まっております。何とぞご来場賜りますよう、よろしくお願いします。

■───────────────────────────────────────────────■

*日時:2014年11月24日(祝) 日時 午後1時00分受付、午後1 時30分より午後3時30分迄

*①/②同時開催場所:近江兄弟社学園小学校 (旧 県立八幡養護学校) 

〒523-0817 近江八幡市浅小井町699  TEL.0748-31-2122 FAX.0748-31-2123

※開催当日現地でのお問い合わせは専攻科滋賀の会事務長携帯迄 TEL.090-7100-0805

 ◆ご参考:近江兄弟社小学校WEB http://www.ob-sch.ac.jp/elem/

【アクセス】 JR近江八番駅から近江バス「長命寺」または「国民休暇村」「市内循環」行き・学園前下車

※近江兄弟社学園小学校WEBより

*学習会開催内容
■□■□■□■□大会参加者/保護者・関係者のスケジュール■□■□■□■□

○13時00分 受付( 小学校校舎入り口にて)
○13時30分 ・あいさつ・講師紹介
       ・経過説明( 当会理事長 立岡晄)
○13時40分  ・講演「 青年期の教育実践と今後の課題」渡部 明男先生(国立大学法人神戸大学 教授)
       □鳥取大学付特別支援学校高等部専攻科設立経過/実践について
       □神戸大学での「学びの作業所」との共同取り組みについて                            □青年期教育の今後の課題について他  (※質疑応答有)
○15時25分  ・終了のあいさつ

※前回、当会学習会で講演される渡部先生


*サンデー専攻科開催内容
■□■□■□■□学生・青年・ボランティアのみなさん のスケジュール■□■□■□■□
○13時00分  受付( 小学校校舎入り口にて) ※学習会と同時開始
○13時30分  ・あいさつ・講師紹介
         太鼓練習 □基本編
         踊り練習 ※講師:和太鼓グループ「疾風(かぜ)」
○15時25分  ・終了のあいさつ ※学習会と同時終了

※前回の和太鼓“音楽”実演授業風景

■参加費:いずれも無料

当日参加も受け付けますが出来れば事前にお申し込み下さい。
■───────────────────────────────────────────────■
◆◇◆◇◆◇◆◇お申し込み方法◆◇◆◇◆◇◆◇

1、メールでの申込(クリックしてください)

         メールアドレス    senkouka.shiga@gmail.com

 
①「学習会」への申し込み 
②「 和太鼓講座」 への申し込み(お子様 学生/青年の方)
③講座ボラ ( スタッフ ) への申し込み
以上、参加/お申し込み種別をコメントで記載願います。
また、返信させていただくため、お名前 /住所 /ご連絡電話 /会員・非会員 の
基本情報をお手間おかけしますが記載もお願いいたます。

2、FAXでも連絡が可能です
事務局:きょうされん滋賀支部宛「専攻科 滋賀の会」事務局迄ご連絡ください。
ファックスNo.0 7 4 8 - 4 6 - 5 5 2 9
*お間違えのないよう、ご注意下さいませ
■─────────────────────────────────────────■
障害青年の教育をさらに ( 専攻科などを ) 保障する滋賀の会
[専攻科 滋賀の会]事務局  立岡 晄(たておか あきら)宅
住所:東近江市五個荘木流町372-1 ☎0748-48-6043
■─────────────────────────────────────────■

【御報告】学習会&サンデー専攻科を開催しました

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障害青年の教育をさらに ( 専攻科などを ) 保障する滋賀の会・主催

「学習会&サンデー専攻科」が11月24日に近江兄弟社学園小学校にて開催されました。


◆会場玄関

近江兄弟社学園小学校の関係者の皆様、会場準備に際してはご協力頂きまして有難うございました。改めて深謝申し上げます。

当日の開催カリキュラムに関して、ご報告申し上げます。


①学習会「 青年期の教育実践と今後の課題」~高等部専攻科などの教育実践から~

渡部 明男先生(国立大学法人神戸大学 教授)より、鳥取大学付特別支援学校高等部専攻科の取り組みに関して、講義風景やゼミの取り組み等、映像とパワーポイントを用いたご説明とてもわかりやすく御講義頂きました。

冒頭御挨拶する当会理事長の立岡

講義の後半には鳥取県製作の糸賀一雄生誕100周年記念映像と、独自の取り組みのご紹介、ならびに糸賀の鳥取での幼少期から京都大学に進学するまでの青年期迄、トピックスを交えたご説明で、滋賀県からみるちょっと違う糸賀一雄を垣間見る事ができ、非常に興味深い講座になりました。


②サンデー専攻科~“音楽”教育実践~みんなと楽しもう!「 和太鼓と踊りの講座」

和太鼓グループ「疾風(かぜ)」の先生方をお招きし、和太鼓の実践講座を開催され、青年御本人、小学生の皆様、保護者の方々が参加されました。和太鼓を叩く受講生の皆さんは、先生の合図とリズムに合わせて、叩いたり、止めたり、元気よく掛け声を出したり。。と、まるで指揮者とオーケストラが奏でる協奏曲を聞いているようにも感じました!

リズムに合わせて、力強く鼓動を参加者と先生方で作ったり、楽曲の最後には皆でポーズをとったりと、共同で創り出す「学び」を皆さんで感じられていたのではないでしょうか。

(映像に関しては、後日アップ致します。)

次回、サンデー専攻科は来春に予定しております。お楽しみに♪

【参加ご報告】第11回全専研<特別ニーズ教育>研究集会in茨城

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 茨城県土浦市で開催された、専攻科全国大会に、滋賀の会から3名が参加してきました。11回目となるこの大会で、初めて東日本で開催された意味は大変大きいものがあると感じました。中部や近畿にとどまらず、昨年は九州(福岡)での開催、そして今年は関東での開催となったわけです。

 ▲茨城大会PRチラシ

 12月13日(土)の第一日目は、オープニングで青年のみなさんのとても元気な「よさこいソーラン」が披露されました。続いて、基調報告が行われ、全国の会の田中良三先生からは、2008年の和歌山県田辺市の「フォレスクール」の開所から、この6・7年の間に全国各地に「学びの作業所」が続々と誕生していることが報告されました。滋賀県でも、田中会長の名簿には載っていない自立訓練の事業所が誕生して来ています。この状況を、「多様な学びの選択肢」として、積極的に受けとめていこうと提起されました。さらに、私たちの実践・運動が進む中で、学校教育の中に取り入れられることになるとの見通しが語られました。

 続く全体会は2部構成で、第一部は「全国の仲間の報告」が行われ、和歌山・愛知・岩手・北海道の青年たちが、この間の活動の報告をしてくれました。愛知・見晴台学園の「東海道53次ウォーク」は3年次の取り組みとなっていました。また、岩手・三愛学舎の「カップラーメンについて」の研究報告も丁寧に調べていて、会場を「そうなんだ」とうならせていました。第二部は、「国際交流-親の願いが制度を拓く」と題して、韓国から「親の会」のお母さんと通訳の学生さんが来てくださいました。茨城のお母さんの司会で進められましたが、和歌山のお父さんである出口さんの元気な発言と、韓国から来日してくださったお母さんの「親の行動力は政府を動かす」という発言は、会場の私たちに大きな勇気と確信を与えて下さる内容でした。

▲講演の様子(韓国のお母さん) 

その後の夕食交流会は、会場の狭さも手伝って身動きできないほどのたくさんの参加者で、お酒も入って大変な熱気となりましたが、ここでも青年たちの発表が続きました。滋賀は青年を組織できていないので、本当に寂しい限りでした。

 2日目は、5つの分科会と講座(午前)・特別報告(午後)、さらに青年ホーラムが開かれました。私が司会を担当したのは、第4分科会でしたが、岡山で専攻科を考える会の田中さんと、茨城の専攻科を考える会の飯塚さんの報告でしたが、どちらの報告も障害青年の学びの権利を意識した運動論に基づく丁寧な報告でした。岡山での取り組みは、視察・研修・情報発信の大切さ、茨城では滋賀でも行ったアンケートを実施して、その結果に基づく運動の展開を詳しく報告してくださいました。共同研究者の出口さんからは、「親の力」を発揮すること、長谷川正人さんからは「正しいと思ってケンカすること」といったとても熱いアドバイスを受けました。

▲大盛況だった懇親会! 

2日間を通して、滋賀でも県内に誕生した様々な「学び」の事業所と全国の会や「滋賀の会」との連携を模索し、より「専攻科づくり」運動の発展を目指して取り組みを強化させる必要性を感じました。

▲専攻科滋賀の会メンバー

来年は三重・聖母の家学園で行われますので、「滋賀県からたくさんの関係者に参加してもらいましょうね。」と立岡理事長と確認し、帰路につきました。(徳田)

2015年新年の御挨拶

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年頭所感

▲琵琶湖湖畔にて

 専攻科滋賀の会、会員の皆様・養護学校関係者の皆様、ならびに関係する多くの皆様、お元気で輝かしい新年をお迎えのこととお喜び申し上げます。

 本年も専攻科滋賀の会は大きく前進する意気込みで居りますのでどうぞご指導・ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。

 皆様に支えられた、NPO法人「専攻科滋賀の会」この間の大きな動きとしては次のポイントになりますので、ご高覧お願い致します。

一、6年前に当時の嘉田滋賀県知事との懇談会をはじめに、毎年滋賀県教育委員会など、現在まで行政関係者との懇談会を積み上げてきております。

二、2010年12月には、第7回全国専攻科研究大会を近江八幡市内で開催し、全国各地からの参加者を迎え、韓国のキム・サム・ソップ氏の記念講演に学びました。

三、2012年1月には「専攻科滋賀の会」のNPO法人化を実現させました。

四、昨年7月には第6回総会を開催し、京都教育大学の丸山啓二先生の力強いお話を伺いました。

五、上記のような取り組みを、随時ホームページに掲載し運動を広めてきています。

 

主な動きは以上ですが、この1年さらに県民の強い願いである専攻科開校に向けて着実な運動を積み上げていく所存です。

皆様の一層のご協力、ご支援をお願い申し上げます。

平成26年元旦

NPO法人「専攻科滋賀の会」役員一同

NPO法人「専攻科滋賀の会」役員

     理事長  立岡  晄    理 事 山田 久視

     理 事  今野  洋    理 事 徳田 佳弘

     理 事   森本  創    理 事 福村 敏明

     理 事   坂井 清泰    監 事 門   治

     理 事   西川 眞治    監 事 池田 里美

▲びわこバレースキー場から琵琶湖を望む


第6回 理事会開催結果 御報告

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2014年度 NPO法人 障碍青年の教育をさらに保障する滋賀の会(専攻科 滋賀の会)で第6回の理事会を開催しました。

これまでイベントだけの情報のご提供でしたが、今後このように細かく議事や活動関係をお伝えしていきたいと思います。


当会第6回理事会は先月2月22日に開催しました。

-於:滋賀県近江八幡市安土町 きょうされん滋賀支部

-時間:午後2時~4時半

-参加者:5名(理事会成立)

※理事会の資料の一部

内容はこれまでの全国大会参加をはじめとした活動経過・情勢報告・理事間の情報共有、ならびに今後の課題を検討しました。

議題・検討内容は次の通りです。

(1)次回サンデー専攻科/学びの作業所連絡会の開催内容

※次回サンデー専攻科のカリキュラムを検討。様々な意見があげられたが「みんなの選挙」(仮題)で、現在国会等で話題の若年層の選挙を学ぶ・・という切り口で検討していく。

【学ぼう!触れよう!みんなの選挙】

※学びの作業所は、活動活発化しているので、県内・外(近県)の方々を招いて今春開催する。

(上記サンデー専攻科・学びの作業所は5月~6月開催目標で検討開始いたします)

(2)滋賀県教育委員会との懇談会開催

※新年度4月~5月滋賀県教育委員会訪問にて開催に向け準備開始。

(3)学校法人近江兄弟社学園との懇談会開催

※15歳の進路保障の観点より検討。JDDネット(日本発達障害ネットワーク)の活用しながら、近江兄弟社学園によってメリットが出るようなご提案をしていく。次期懇談会日程は調整中。

◆今年の全国専攻科(特別ニーズ教育)研究会が2015年12月5日(土)社会福祉法人 聖母の家(三重県四日市市)で開催されることから、参加者の組織の検討も実施。

◆今春オープンのプリズムカレッジ(社会福祉法人蒲生野会:滋賀県東近江市)からの要請に関して。

※講師の準備(紹介)、カリキュラムの検証他当会への支援要請有り。具体的なリアクションが必要。

以上になります。 今後とも宜しくお願い致します

※第6回理事会 開催風景

【ご報告】 第8回 理事会開催結果

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 当会第8回理事会は昨日5月2日(土)に開催しました。

-於:滋賀県近江八幡市安土町 きょうされん滋賀支部

-時間:午前9時半開始~12時終了

-参加者:6名+※オブザーバ1名計7名 (理事会成立)

※社会福祉法人蒲生の会 プリズム 田中清隆先生にご出席戴き話題ご提供いただきました。


内容は3月度からの活動経過・情勢報告・理事間の情報共有、ならびに今後の課題を検討しました。

議題・検討内容は次の通りです。


(1)プリズムカレッジへの支援・連携に関して

社会福祉法人蒲生の会 プリズム 田中清隆先生より今年4月開所の学ぶ作業所「プリズム・カレッジ」

における各種現状の取り組みをご紹介戴きました。当会森本理事より保健分野のチューターを

ご紹介する事、ならびに今後も当会と「プリズム・カレッジ」との連携を強固していく事で一致しました。

田中先生、今後もご出席いただき御意見賜りますよう宜しくお願い致します!

▼当日の議論風景


(2)次回サンデー専攻科/学びの作業所連絡会の開催内容の再検討

前回第7回理事会で議論したサンデー専攻科のカリキュラムを再検討。「みんなの選挙」(仮題)で、現在国会等で話題の若年層の選挙を学ぶ・・という切り口で検討していく事だったが、本人さん等の必要性の認識面から広義に解釈した方が良いとの多数意見があり、「選挙参加」という狭義のテーマから、「障碍者権利条約」という広義のテーマを設定し学び合いを行っていく事となりました。

従いまして、前回設定テーマを発展的に変更し、

【まなぼう!ふれよう!障害者権利条約】    と仮設定させていただきました。

なお、ちょうど立岡理事長先生からご紹介の「えほん 障害者権利条約」(わたしたちぬきに、わたしたちのことを決めないで)という新作出版物のご紹介もあり、この素晴らしい出版物を基軸に、滋賀県立近江学園の森本先生(当会理事)に講和して頂くことになりました。こうご期待ください!

※ご紹介 えほん障害者権利条約 2015年5月3日発行(憲法記念日の発行ですね!)

出版社:汐文社(ちょうぶんしゃ)

著:藤井 克徳 氏 (ふじい かつのり)

国連ESCAPチャンピオン(障害者の権利擁護推進)賞受賞(2012年)
日本障害フォーラム幹事会議長,NPO法人日本障害者協議会代表,きょうされん専務理事,公益財団法人日本精神衛生会理事,公益財団法人ヤマト福祉財団評議員,内閣府・障害者政策委員会委員長代理

絵:里 圭 氏 (さと けい)

グラフィック・デザイナー(ゴム版・イコン画 他)、福祉事業者

ご興味のある方は、当会宛お問い合わせください。ご紹介いたします。

◆ 学びの作業所は、活動活発化しているので、県内・外(近県)の方々を招いて開催。

-前述の「プリズム・カレッジ」様のご協力を賜り、同日開催することとなる。

◆ 日程案は6月21日(土) 13:00~で調整中です。(開催場所が判り次第追ってお知らせ致します)

(2)学校法人ヴォーリズ学園(旧近江兄弟社学園)との懇談について

-魅力ある企画ご提案をすること。ヴォーリズ学園の経営的側面である進むべきグランドデザインを学び、当会として出来る事を明確にすることとして、当会理事の坂井先生に相談しながら進めていく事となる。

(学校法人近江兄弟社学園は今年4月にヴォーリズ学園と名称変更)

(3)新年度総会・記念公園に向けて

-開催期日は7月25日(土)午後になり、調整開始となる。

-専攻科NEWS Vol.14を至急制作し、今月下旬に発送する事。

-次回理事会は5月31日(日)午前9時半~午前中終了予定で、きょうされん滋賀支部にて行います。理事の皆様は勿論、参加ご希望の方はご連絡ください。

▼当日の会議会場近くの安土城跡風景

今後ともよろしくお願い致します

※各種問い合わせはメール迄:宛先はsenkouka.shiga@gmail.comまでお願い致します。

大津市の新しい専攻科「セレンディップ」さんのご紹介

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滋賀県大津市に今春開所しました専攻科「セレンディップ」さんのご紹介をいたします。

【WEBより】

一般社団法人セレンディップでは、生活が困窮している人や制度の狭間で生きづらさを抱える人が、人とつながることができる健やかさを得るための伴走と、間違えられる場、失敗から学ぶことのできる場を提供することで、「がんばろう」と思える土台作りを行っていきます。生きづらさを抱えた人に対して『編み直し』をテーマに日常の「困った」「どうしたらいいんだろう?」の解決や、将来の夢を見つけるための学びのカリキュラムや居場所を提供しています。卒業時にはその時に最適な進路を一緒に考えましょう。

【コンセプト:専攻科】

1、障碍がある人だけではなく、障碍の疑いがあるが手帳をもっていない人たちも通所できる場

2、手帳がない段階から利用が可能

3、手帳の取得が前提ではなく当事者や家族が納得できる“緩やかな着陸”の選択肢を一緒に考えます

ご利用例は次のとおりです。 就職はしたいけれど、なかなか最初の一歩が踏み出せない 今は充電中だけれど、このままではいけないと思っている 今から学びたい。 一定期間社会参加できておらず、就労よりも自分とゆっくり向き合う時間が必要

スタッフは4名体制。

精神保健福祉士(サービス管理責任者) CDAキャリアコンサルタント ICDSキャリアコンサルタント 産業カウンセラー

カリキュラム

履修予定表(例)

 

◎アクセス 滋賀県大津市晴嵐1−8−1 晴嵐ビル2F  <JR石山駅の南口より徒歩5分>

一般社団法人セレンディップ

営業時間:9時半―17時半(土日祝除く)  Email: reknit.serendip@gmail.com

TEL: 077-531-1786(Faxはありません) URL:http://reknit-serendip.jimdo.com/


今後、当会として情報交換を含めて交流していきたいと考えております。

御参照のほど宜しくお願い致します。

サンデー専攻科&勉強会が開催されました

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先週の6月21日(日)午後に今年4月開所の学ぶ作業所「プリズム・カレッジ」にて勉強会を実施しました。

場所はJR能登川駅そばの美味しいエクレア・ショップの裏手になる静かな場所になります。お洒落なヨーロッパ調の建物で、非常に良い環境下で事業運営されていると感じました。

 このエクレアショップは大盛況で、すぐに売れ切れるので予約が必要とのこと。筆者も買いそびれた一人です。。

 梅雨の晴れ間がのぞく日でした。スペイン町なおしゃれな建物が学び舎です

当会立岡理事長より開会の挨拶.県内の関係者の皆様の連携強化を訴えました.

プリズム・カレッジの田中先生に取り組みと現在の状況、通所されている学生の皆さんの様子や学びの実践についてご紹介いただきました。加えて、参加者の方々とも意見の交換も行いました。

田中先生からのプリズムカレッジのご紹介メッセージです。

「はじめまして社会福祉法人蒲生野会プリズムで自立訓練事業(生活訓練)の担当をしている田中です。はじめに法人全体の紹介を少しさせていただきます。私の所属している社会福祉法人蒲生野会は旧八日市市に本部を置く障害者支援を行う法人です。法人スタートは重度の障害を持つ人の入所施設からです。開設順に紹介をしていくと、東近江地域障害者生活支援センターれいんぼう、暮らしサポートセンターさんライト、放課後等デイサービスサンライズ、多機能型事業所プリズムとなります。活動範囲は主に東近江圏域(2市2町)です。

 プリズムカレッジでは障害を持つ青年期を迎える方が社会人として生活していくためには仕事が出来る力だけでなく、良き余暇(休日やアフターファイブ)を過ごす力も大切ではないだろうか。卒後すぐに働ける力がある人もいれば、じっくりと時間をかけて成長していく人もいるのではないだろうか、そういった子どもの豊かな発達と人格形成を行う場が必要ではないかという思いから事業所を立ち上げました。反面、そのような場所が無かったこともあり、進路に迷われている実態もあったと思います。具体的に大切にしていることは次の通りです。社会人生活を豊かにするための実生活に役立つ学び。仲間とともに考え、学んでいく。自分のやりたいことの発見。課外学習、実習、研修旅行といった様々な豊かな体験です。これらのことを意識し日々活動をしています。

 プリズムカレッジが始まって約2ヶ月が経とうとしています。利用者はもう学生じゃない、しっかりしないといけないという意識をすでに持ち始めています。一人でバス、電車を利用し通所してくる方、毎日お弁当を自分で作ってくる方、朝は苦手だけど休まず通所してくる方それぞれの目標は違いますが、それぞれが日々頑張っています。この2ヶ月での変化は挨拶が少しできるようになった、規則正しい生活ができるようになったなど、多くの人からみるとできて当たり前のこのようなことばかりですが、利用者や利用者家族、支援関係者からすると大きな1歩のように感じます。こんな利用者を見ていると、田中昌人氏の全障研京都集会(1967年)での講演(3つの可逆操作の段階)での1節「ゆっくりと通り過ぎる人もあれば、ひと休みする人もある。寝ころぶ人もあれば、転げる人もあれば、道草をする人もあれば、走っていってしまう人もいる。いろいろなんです。でも道は同じなんです」が連想させられます。人間の発達する早さは人それぞれ違います。ましてや知的障害、発達障害などのある子ども達は障害を持たない子ども達よりも時間もかかると考えられます。こういったことを考えると学ぶ権利者、発達の主体者として、そして今後は一社会人として生活を目指す人間として、豊かな人格形成、生活力をつける場の保障はされるべきだと考えています。」(以上)

                        

そして近隣の公民館では青年の方々を招いてのサンデー専攻科です。

先日出版されました「えほん障害者権利条約」(ふじいかつのり/作・里圭/絵)の発売を機に、障害者権利条約とは何か?どのような困っている事が直接本人さんに関係するか?を森本先生がわかり易く講義いただきました。

今回講義いただきました森本先生からの今回のサンデー専攻科開催にあたっての学習指導要旨をご紹介いたします。

サンデー専攻科「社会科」

      会 場  :   プリズムカレッジ (授業者:森本 創 対象:10名前後)

      日 時  :   平成27年6月21日(日)  13:30~15:30

 

 

主題名  国連「障害者権利条約」を学ぶ 主題設定の理由

(1) ねらいとする価値について

 2006年12月13日に国連で採択された「障害者権利条約」は、それまでのさまざまな人権条約を基礎につくられたものであり、これからの人類の目指すべき未来社会を指し示すものである。2014年1月、日本はこの「障害者権利条約」を世界で141番目に締結したが、まだまだ多くの課題を抱えている。「Nothing About Us Without Us(私たち抜きに私たちのことを決めないで)」この条約を貫く当事者本位の精神を学ぶことを通して、自分たちの身近な問題について自らが考え、その解決に向けて積極的に行動する姿勢を培うことをねらいとする。

(2) 生徒の実態

 生徒は、普段の学校や作業所や家庭生活の中で、さまざまな悩みを抱えているが、それらを解決するためのスキルを十分には獲得していない。また、法律や国際条約についての興味関心は低く、自分たちの生活とどのようにつながっているかということについて、日常的に意識することはほとんどない。しかし国連「障害者権利条約」を学ぶことを通して、自らの権利意識を高め、前向きに生活する態度を身につけることができると考える。

(3) 資料について

 作者のふじい かつのり氏は、国連「障害者権利条約」の内容の検討にあたって、日本の障害者代表として深くかかわり、また我が国が本条約を締結するために大いに貢献した。つまり国連「障害者権利条約」について、日本でもっともよく知ると共に、本条約に対して熱く強い思いを持つ人の一人だといえる。その作者が、より多くの人たちにこの権利条約を知ってほしいとの願いから執筆した絵本を基礎資料として、条約への理解を深める。さらに、事前に全生徒に書いてもらっておいたアンケートを活用し、グループワーク通して自分たちの身近な問題について考え、そのことが条約の内容と深くかかわっていることを理解する

3.  ねらい

 ○国連「障害者権利条約」の大切さとその内容を大まかに理解する。

 ○自分たちの身近な問題が、権利条約と深くかかわっていることを大まかに理解する。

 ○自らの権利意識を高めると共に、他者への理解と共感の態度を培う。

4. 本時の展開

 

学習活動・主な発問

予想される生徒の反応

配慮すべき点

導入(15分)

 講師と参加者の自己紹介

1.条約について考える。

○「条約って何?」「国際連合(国連)は何をするところ?」

○「日本にはどのような法律がある?」

○「条約と法律との関係は?」

 

 ・国と国との約束(法律)

・道路交通法、教育基本法、刑法、民法、障害者総合支援法、障害者差別解消法、日本国憲法など

・日本国憲法>条約>一般法

 

・法律名が分からない場合は、どのような社会のルールがあるか考える。

・法律とその他のルールとの違いについて考える。

・図を描いて説明する。

展開前段(40分)

2.資料「えほん障害者権利条約」を読んで考える。

①「障害者権利条約」はいつどこで生まれたか?

・国連のマークの意味を考える。

②「人権」について考える。

 

・「障害者権利条約」以前の人権条約は?

 

③「障害者権利条約」がどのように広がっていったのか考える。

 

④なぜ日本ではなかなか批准されなかったのか考える。

⑤日本の国内法との関係について考える

⑥⑦⑧条約がしっかりと守られたらどう変わるか考える

「障害」って何?

・自分自身がしたかったけれどできなかったことについて発表し、それがどうすればできるか考える

 

 

・2006年12月13日国連で生まれた。

・北極を中心にオリーブ(平和の象徴)が世界を包む。

・すべての生きている人が持つ権利。死んだ人や生まれる前の赤ちゃんは?

・世界人権宣言、人種差別撤廃条約、女性差別撤廃条約、子どもの権利条約

・世界地図を見ながら、ジャマイカの位置を確認する

・世界地図を見ながら、エクアドルの位置を確認する

・日本は国連加盟193か国中141番目

・国連は条約を守っているかどうかチェックをする

・Nothing About Us Without Us(私たち抜きに私たちのことを決めないで)の意味を考える

・障害が変化する概念であることを理解する

・あらかじめ絵本をデジカメで撮影し、PPでスライドにする。

・ゆっくりと読む。

・国連の中でもっとも新しい人権条約

・日本では妊娠12週目~が人として認められている。

・さまざまな差別について考えてみる。

 

・首都キングストン

 人口270万人

 ブルーマウンテン山脈

 ウサイン・ボルト

・障害者自身がかたちだけの批准に反対

・条約を守らないとどうなるか?

・自分たちの暮らしが具体的にどう変わるかイメージする

・何人かに発表してもらう

 

⑨絵を見ながら町がどのように変わったのか理解する

⑩条約が守られるためには常に努力が必要なことを理解する

⑪障害者権利条約の大切さを再確認する

・バリアフリーの意味について考える


 ・条約が守られるよう自分ができることについて考える

・障害のある人にやさしい社会はすべての人にとってやさしい社会である

・困っていることを口にする→どうすればよいか考え相談する→実際に行動する

 

休憩(10分)

アンケート内容の確認

円形に椅子の移動

展開後段(45分)

3.自分たちの生活と障害者権利条約がどのように関係しているか理解する

・アンケートをもとに、どうす

ればよいかみんなで考え、条

約との関係を確認する

 

○家で困っていること

・お小遣いが少ない

・携帯電話を買ってくれない 

・部屋に勝手に入ってくる

・お父さんとお母さんが喧嘩ばかりしてる

○学校や作業所で困っていること

・好きな人がいるがどうすればよいかわからない・乱暴で嫌なことをする人がいる

・給料が安い

・職員や先生がちゃんと話を聞いてくれない

○そのほかに困っていること

・一人で出かけたい

・選挙に行ったことがない

・一人暮らしがしたい

・休みの日に野球やサッカーがしたい

・第28条相当な生活水準及び社会的な保障

・第9条1(b)通信手段の確保

・第22条プライバシーの尊重

・第7条2児童の最善の利益

・第23条家庭及び家族の尊重

・第14条身体の自由及び安全

・第27条労働及び雇用

・第7条3意見表明権

 

・第20条(a)移動の保障、第9条2施設サービス利用の確保

・第29条政治的及び公的活動への参加

・第19条(a)居住地の自由

・第30条文化的な生活、レクリエーション、余暇及びスポーツへの参加

まとめ(10分)

4.一人ひとり今日の感想を発表する

・自分の権利を守ると共に、人の権利を守ることの大切さに気づく

 

 

・人の話をしっかりと聞く

講義中の森本先生

参加者の学生の皆さんからは、「先生のお話しや会話を通じ、すっきりした!」という意見や、「もっと勉強したい!!」等というコメントを、事後感想に記載いただきました。やはり、当会や事業所の皆様、教諭・教育関係者の方々の協力をいただき、今後もサンデー専攻科を続けるともに、学びに触れる機会を創らなければならないと感じました。それには、前述の方々との連携を強固なものにしなければならないと思います。

今後とも専攻科滋賀の会への参加いただきますよう、よろしくお願いいたします!(HK)

専攻科滋賀の会 総会&記念講演のお知らせ

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◆記念講演

講 師  田中 良三 先生

愛知県立大学名誉教授、全国専攻科(特別ニーズ教育)研究会会長、見晴台学園大学学長

◆講演テーマ

「障害者の権利条約と知的障害者の高等教育(大学)の保障 」 

◆講演要旨

世界の障害者教育において、アメリカの大学では5%の障害者を受け入れなければならないといった制度(高等教育機会均等法)があります。障害者の権利条約からみれば当たり前の制度であると言えましょう。愛知では、発達障害者を受け入れている見晴台学園が大学を2013年度に開校し、田中先生が学長をされています。今後の障害青年の発達保障の課題と「専攻科づくり運動」に大きなインパクトを与える象徴となっています。精力的な実践をされている田中先生のお話を是非お聞き下さい。

■日 時 

2015年7月25日(土)  13時00分受付・13時30分より16時10分まで

■開催場所 

〒523-0891滋賀県近江八幡市鷹飼町80-4 男女共同参画センター G-NETしが

(1F・視聴覚室にて) 電話 0748-37-3751

 

◆JR近江八幡駅下車「南口ロータリー」より 500m(徒歩約10分)

◆JR近江八幡駅までは

JR米原駅より新快速利用19分、普通列車利用27分/JR大津駅より新快速利用24分、普通列車利用31分/JR京都駅より新快速利用34分、普通列車利用40分


 

■内 容

①あいさつ(経過説明)  立 岡 晄 (専攻科滋賀の会・理事長)

②第7回総会 :情勢分析/活動報告/活動方針案/活動計画案/決算/予算案/役員選出

③記 念 講 演               参加無料:問い合わせ先電話番号 0748-48-6043 立岡まで

是非、ご参加いただきますよう宜しくお願い致します!

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